神の御心

病に苦しむ人を癒すことは神の御心です。
あなたが健康であることは神の御心です。

癒しに関する質疑応答

質問 
癒される為にお金を払う必要はありますか。

答え  いいえ。

癒してもらう為に金銭を払う必要はありません。神はクリスチャンに、お金を受け取ることなく人を癒すようにと命じています。

病人をいやし、死人をよみがえらせ、ツァラアトをきよめ、悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。

マタイ10章9節

質問
祈ってもらっても癒されないのは、私に信仰が足りないからでしょうか。

答え  いいえ。

癒しを必要とする人の信仰の度合いを、癒されない事の根拠とする事はできません。イエスを信じていない人でも癒されます。また、信仰の弱い人でも癒されます。聖書は、信仰による祈りは病む人を回復させると言っています。大事なのは、癒しの祈りをする側の信仰です。

 あなたがたの中に、病んでいる者があるか。その人は、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい。
 信仰による祈りは、病でいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。   
 だから、互いに罪を告白し合い、また、いやされるようにお互いのために祈りなさい。義人の祈りは、大いに力があり、効果のあるものである。

ヤコブ5章14〜16節

癒しの聖句

出エジプト記
15章26節
わたしは主、あなたを癒すものである。
歴代史Ⅱ
7章14節
 わたしの名をもってとなえられるわたしの民が、もしへりくだり、祈って、わたしの顔を求め、その悪い道を離れるならば、わたしは天から聞いて、その罪をゆるし、その地をいやす。
詩篇
6篇
 主よ、あなたの怒りをもって、わたしを責めず、
 あなたの激しい怒りをもって、
 わたしを懲しめないでください。
 主よ、わたしをあわれんでください。
 わたしは弱り衰えています。
 主よ、わたしをいやしてください。
 わたしの骨は悩み苦しんでいます。
 わたしの魂もまたいたく悩み苦しんでいます。
 主よ、あなたはいつまでお怒りになるのですか。
 主よ、かえりみて、わたしの命をお救いください。
 あなたのいつくしみにより、わたしをお助けください。
 死においては、あなたを覚えるものはなく、
 陰府においては、だれがあなたを
 ほめたたえることができましょうか。
 わたしは嘆きによって疲れ、
 夜ごとに涙をもって、わたしのふしどをただよわせ、
 わたしのしとねをぬらした。
 わたしの目は憂いによって衰え、
 もろもろのあだのゆえに弱くなった。
 すべて悪を行う者よ、わたしを離れ去れ。
 主はわたしの泣く声を聞かれた。
 主はわたしの願いを聞かれた。
 主はわたしの祈をうけられる。
 わたしの敵は恥じて、いたく悩み苦しみ、
 彼らは退いて、たちどころに恥をうけるであろう。
詩篇
30篇2〜5節
 わが神、主よ、
 わたしがあなたにむかって助けを叫び求めると、
 あなたはわたしをいやしてくださいました。
 主よ、あなたはわたしの魂を陰府からひきあげ、
 墓に下る者のうちから、
 わたしを生き返らせてくださいました。
 主の聖徒よ、主をほめうたい、
 その聖なるみ名に感謝せよ。
 その怒りはただつかのまで、
 その恵みはいのちのかぎり長いからである。
 夜はよもすがら泣きかなしんでも、
 朝と共に喜びが来る。
詩篇
91篇14〜16節
 彼はわたしを愛して離れないゆえに、
 わたしは彼を助けよう。
 彼はわが名を知るゆえに、わたしは彼を守る。
 彼がわたしを呼ぶとき、わたしは彼に答える。
 わたしは彼の悩みのときに、共にいて、
 彼を救い、彼に光栄を与えよう。
 わたしは長寿をもって彼を満ち足らせ、
 わが救を彼に示すであろう。
詩篇
103篇2〜5節
 わがたましいよ、主をほめよ。
 そのすべてのめぐみを心にとめよ。
 主はあなたのすべての不義をゆるし、
 あなたのすべての病をいやし、
 あなたのいのちを墓からあがないいだし、
 いつくしみと、あわれみとをあなたにこうむらせ、
 あなたの生きながらえるかぎり、
 良き物をもってあなたを飽き足らせられる。
 こうしてあなたは若返って、わしのように新たになる。
詩篇
118篇17節
 わたしは死ぬことなく、生きながらえて、
 主のみわざを物語るであろう。
詩篇
147篇3節
 主は心の打ち砕かれた者をいやし、
 その傷を包まれる。
イザヤ書
53章3〜5節
彼は侮られて人に捨てられ、
悲しみの人で、病を知っていた。
また顔をおおって忌みきらわれる者のように、
彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
まことに彼はわれわれの病を負い、
われわれの悲しみをになった。
しかるに、われわれは思った、
彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、
われわれの不義のために砕かれたのだ。
彼はみずから懲しめをうけて、
われわれに平安を与え、
その打たれた傷によって、
われわれはいやされたのだ。
エレミヤ書
17章14節
主よ、わたしをいやしてください、
そうすれば、わたしはいえます。
わたしをお救いください、
そうすれば、わたしは救われます。
あなたはわたしのほめたたえる者だからです。
エレミヤ書
33章6節
見よ、わたしは健康と、いやしとを、ここにもたらして人々をいやし、豊かな繁栄と安全とを彼らに示す。
マラキ書
4章2節
しかしわが名を恐れるあなたがたには、義の太陽がのぼり、その翼には、いやす力を備えている。あなたがたは牛舎から出る子牛のように外に出て、とびはねる。
マタイ
4章23.24節
 イエスはガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。
 そこで、その評判はシリヤ全地にひろまり、人々があらゆる病にかかっている者、すなわち、いろいろの病気と苦しみとに悩んでいる者、悪霊につかれている者、てんかん、中風の者などをイエスのところに連れてきたので、これらの人々をおいやしになった。
マタイ
8章5〜13節
 さて、イエスがカペナウムに帰ってこられたとき、ある百卒長がみもとにきて訴えて言った、 「主よ、わたしの僕が中風でひどく苦しんで、家に寝ています」。
 イエスは彼に、「わたしが行ってなおしてあげよう」と言われた。
 そこで百卒長は答えて言った、「主よ、わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります。わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです」。
 イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた人々に言われた、「よく聞きなさい。イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない。 なお、あなたがたに言うが、多くの人が東から西からきて、天国で、アブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席につくが、 この国の子らは外のやみに追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう」。
 それからイエスは百卒長に「行け、あなたの信じたとおりになるように」と言われた。すると、ちょうどその時に、僕はいやされた。
マタイ
8章14〜15節
 それから、イエスはペテロの家にはいって行かれ、そのしゅうとめが熱病で、床についているのをごらんになった。
 そこで、その手にさわられると、熱が引いた。そして女は起きあがってイエスをもてなした。
マタイ
8章16〜17節
 夕暮になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れてきたので、イエスはみ言葉をもって霊どもを追い出し、病人をことごとくおいやしになった。
 これは、預言者イザヤによって「彼は、わたしたちのわずらいを身に受け、わたしたちの病を負うた」と言われた言葉が成就するためである。
マタイ
9章35節
 イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。
マタイ
10章1節
 そこで、イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊を追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやす権威をお授けになった。
マタイ
10章7〜8節
 行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。
 病人をいやし、死人をよみがえらせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。
マタイ
12章22節
 そのとき、人々が悪霊につかれた盲人のおしを連れてきたので、イエスは彼をいやして、物を言い、また目が見えるようにされた。
マタイ
14章14節
 イエスは舟から上がって、大ぜいの群衆をごらんになり、彼らを深くあわれんで、そのうちの病人たちをおいやしになった。
マタイ
15章28節
 そこでイエスは答えて言われた、「女よ、あなたの信仰は見あげたものである。あなたの願いどおりになるように」。その時に、娘はいやされた。
マタイ
15章29〜31節
 イエスはそこを去って、ガリラヤの海べに行き、それから山に登ってそこにすわられた。
 すると大ぜいの群衆が、足なえ、不具者、盲人、おし、そのほか多くの人々を連れてきて、イエスの足もとに置いたので、彼らをおいやしになった。
 群衆は、おしが物を言い、不具者が直り、足なえが歩き、盲人が見えるようになったのを見て驚き、そしてイスラエルの神をほめたたえた。
マタイ
19章1〜2節
 イエスはこれらのことを語り終えられてから、ガリラヤを去ってヨルダンの向こうのユダヤの地方へ行かれた。
 すると大ぜいの群衆がついてきたので、彼らをそこでおいやしになった。
マタイ
20章30〜34節
 すると、ふたりの盲人が道ばたにすわっていたが、イエスがとおって行かれると聞いて、叫んで言った、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちをあわれんで下さい」。
 群衆は彼らをしかって黙らせようとしたが、彼らはますます叫びつづけて言った、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちをあわれんで下さい」。
 イエスは立ちどまり、彼らを呼んで言われた、「わたしに何をしてほしいのか」。
 彼らは言った、「主よ、目をあけていただくことです」。
 イエスは深くあわれんで、彼らの目にさわられた。すると彼らは、たちまち見えるようになり、イエスに従って行った。
マタイ
21章14節
 そのとき宮の庭で、盲人や足なえがみもとにきたので、彼らをおいやしになった。
マルコ
1章32〜34節
 夕暮になり日が沈むと、人々は病人や悪霊につかれた者をみな、イエスのところに連れてきた。
 こうして、町中の者が戸口に集まった。
 イエスは、さまざまの病をわずらっている多くの人々をいやし、また多くの悪霊を追い出された。また、悪霊どもに、物言うことをお許しにならなかった。彼らがイエスを知っていたからである。
マルコ
1章40〜42節
 ひとりのらい病人が、イエスのところに願いにきて、ひざまずいて言った、「みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。
 イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。
 すると、らい病が直ちに去って、その人はきよくなった。
マルコ
5章21〜43節
 イエスがまた舟で向こう岸へ渡られると、大ぜいの群衆がみもとに集まってきた。イエスは海べにおられた。
 そこへ、会堂司のひとりであるヤイロという者がきて、イエスを見かけるとその足もとにひれ伏し、 しきりに願って言った、「わたしの幼い娘が死にかかっています。どうぞ、その子がなおって助かりますように、おいでになって、手をおいてやってください」。
 そこで、イエスは彼と一緒に出かけられた。大ぜいの群衆もイエスに押し迫りながら、ついて行った。
 さてここに、十二年間も長血をわずらっている女がいた。 多くの医者にかかって、さんざん苦しめられ、その持ち物をみな費してしまったが、なんのかいもないばかりか、かえってますます悪くなる一方であった。
 この女がイエスのことを聞いて、群衆の中にまぎれ込み、うしろから、み衣にさわった。 それは、せめて、み衣にでもさわれば、なおしていただけるだろうと、思っていたからである。 すると、血の元がすぐにかわき、女は病気がなおったことを、その身に感じた。
 イエスはすぐ、自分の内から力が出て行ったことに気づかれて、群衆の中で振り向き、「わたしの着物にさわったのはだれか」と言われた。
 そこで弟子たちが言った、「ごらんのとおり、群衆があなたに押し迫っていますのに、だれがさわったかと、おっしゃるのですか」。
 しかし、イエスはさわった者を見つけようとして、見まわしておられた。
 その女は自分の身に起ったことを知って、恐れおののきながら進み出て、みまえにひれ伏して、すべてありのままを申し上げた。
 イエスはその女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい」。
 イエスが、まだ話しておられるうちに、会堂司の家から人々がきて言った、「あなたの娘はなくなりました。このうえ、先生を煩わすには及びますまい」。
 イエスはその話している言葉を聞き流して、会堂司に言われた、「恐れることはない。ただ信じなさい」。
 そしてペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネのほかは、ついて来ることを、だれにもお許しにならなかった。
 彼らが会堂司の家に着くと、イエスは人々が大声で泣いたり、叫んだりして、騒いでいるのをごらんになり、 内にはいって、彼らに言われた、「なぜ泣き騒いでいるのか。子供は死んだのではない。眠っているだけである」。
 人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスはみんなの者を外に出し、子供の父母と供の者たちだけを連れて、子供のいる所にはいって行かれた。
 そして子供の手を取って、「タリタ、クミ」と言われた。それは、「少女よ、さあ、起きなさい」という意味である。
 すると、少女はすぐに起き上がって、歩き出した。十二歳にもなっていたからである。彼らはたちまち非常な驚きに打たれた。
 イエスは、だれにもこの事を知らすなと、きびしく彼らに命じ、また、少女に食物を与えるようにと言われた。
マルコ
16章15〜18節
 そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。
 信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。
 信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、 へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」。
ルカ
4章18〜19節
 主の御霊がわたしに宿っている。
貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、
わたしを聖別してくださったからである。
主はわたしをつかわして、
囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、
打ちひしがれている者に自由を得させ、
主のめぐみの年を告げ知らせるのである」。
ルカ
4章38〜40
 イエスは会堂を出てシモンの家におはいりになった。ところがシモンのしゅうとめが高い熱を病んでいたので、人々は彼女のためにイエスにお願いした。
 そこで、イエスはそのまくらもとに立って、熱が引くように命じられると、熱は引き、女はすぐに起き上がって、彼らをもてなした。
 日が暮れると、いろいろな病気になやむ者をかかえている人々が、皆それをイエスのところに連れてきたので、そのひとりびとりに手を置いて、おいやしになった。
ルカ
5章15節
 しかし、イエスの評判はますますひろまって行き、おびただしい群衆が、教を聞いたり、病気をなおしてもらったりするために、集まってきた。
ルカ
5章17〜26
 ある日のこと、イエスが教えておられると、ガリラヤやユダヤの方々の村から、またエルサレムからきたパリサイ人や律法学者たちが、そこにすわっていた。主の力が働いて、イエスは人々をいやされた。
 その時、ある人々が、ひとりの中風をわずらっている人を床にのせたまま連れてきて、家の中に運び入れ、イエスの前に置こうとした。 ところが、群衆のためにどうしても運び入れる方法がなかったので、屋根にのぼり、瓦をはいで、病人を床ごと群衆のまん中につりおろして、イエスの前においた。
 イエスは彼らの信仰を見て、「人よ、あなたの罪はゆるされた」と言われた。 すると律法学者とパリサイ人たちとは、「神を汚すことを言うこの人は、いったい、何者だ。神おひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか」と言って論じはじめた。
 イエスは彼らの論議を見ぬいて、「あなたがたは心の中で何を論じているのか。あなたの罪はゆるされたと言うのと、起きて歩けと言うのと、どちらがたやすいか。しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威を持っていることが、あなたがたにわかるために」と彼らに対して言い、中風の者にむかって、「あなたに命じる。起きよ、床を取り上げて家に帰れ」と言われた。
 すると病人は即座にみんなの前で起きあがり、寝ていた床を取りあげて、神をあがめながら家に帰って行った。みなの者は驚嘆してしまった。そして神をあがめ、おそれに満たされて、「きょうは驚くべきことを見た」と言った。
ルカ
6章17〜19節
 そして、イエスは彼らと一緒に山を下って平地に立たれたが、大ぜいの弟子たちや、ユダヤ全土、エルサレム、ツロとシドンの海岸地方などからの大群衆が、教を聞こうとし、また病気をなおしてもらおうとして、そこにきていた。そして汚れた霊に悩まされている者たちも、いやされた。
 また群衆はイエスにさわろうと努めた。それは力がイエスの内から出て、みんなの者を次々にいやしたからである。
ルカ
7章1〜10節
 イエスはこれらの言葉をことごとく人々に聞かせてしまったのち、カペナウムに帰ってこられた。
 ところが、ある百卒長の頼みにしていた僕が、病気になって死にかかっていた。この百卒長はイエスのことを聞いて、ユダヤ人の長老たちをイエスのところにつかわし、自分の僕を助けにきてくださるようにと、お願いした。
 彼らはイエスのところにきて、熱心に願って言った、「あの人はそうしていただくねうちがございます。わたしたちの国民を愛し、わたしたちのために会堂を建ててくれたのです」。
 そこで、イエスは彼らと連れだってお出かけになった。ところが、その家からほど遠くないあたりまでこられたとき、百卒長は友だちを送ってイエスに言わせた、「主よ、どうぞ、ご足労くださいませんように。わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。それですから、自分でお迎えにあがるねうちさえないと思っていたのです。ただ、お言葉を下さい。そして、わたしの僕をなおしてください。わたしも権威の下に服している者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです」。
 イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた群衆の方に振り向いて言われた、「あなたがたに言っておくが、これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない」。
 使にきた者たちが家に帰ってみると、僕は元気になっていた。
ルカ
7章11〜17節
 そののち、間もなく、ナインという町へおいでになったが、弟子たちや大ぜいの群衆も一緒に行った。
 町の門に近づかれると、ちょうど、あるやもめにとってひとりむすこであった者が死んだので、葬りに出すところであった。大ぜいの町の人たちが、その母につきそっていた。
 主はこの婦人を見て深い同情を寄せられ、「泣かないでいなさい」と言われた。 そして近寄って棺に手をかけられると、かついでいる者たちが立ち止まったので、「若者よ、さあ、起きなさい」と言われた。
 すると、死人が起き上がって物を言い出した。イエスは彼をその母にお渡しになった。
 人々はみな恐れをいだき、「大預言者がわたしたちの間に現れた」、また、「神はその民を顧みてくださった」と言って、神をほめたたえた。
 イエスについてのこの話は、ユダヤ全土およびその附近のいたる所にひろまった。
ルカ
7章21〜23節
 そのとき、イエスはさまざまの病苦と悪霊とに悩む人々をいやし、また多くの盲人を見えるようにしておられたが、答えて言われた、「行って、あなたがたが見聞きしたことを、ヨハネに報告しなさい。盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。わたしにつまずかない者は、さいわいである」。
ルカ
8節43〜48節
 ここに、十二年間も長血をわずらっていて、医者のために自分の身代をみな使い果してしまったが、だれにもなおしてもらえなかった女がいた。この女がうしろから近寄ってみ衣のふさにさわったところ、その長血がたちまち止まってしまった。
 イエスは言われた、「わたしにさわったのは、だれか」。人々はみな自分ではないと言ったので、ペテロが「先生、群衆があなたを取り囲んで、ひしめき合っているのです」と答えた。しかしイエスは言われた、「だれかがわたしにさわった。力がわたしから出て行ったのを感じたのだ」。
 女は隠しきれないのを知って、震えながら進み出て、みまえにひれ伏し、イエスにさわった訳と、さわるとたちまちなおったこととを、みんなの前で話した。
 そこでイエスが女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」。
ルカ
9章1〜6節
 それからイエスは十二弟子を呼び集めて、彼らにすべての悪霊を制し、病気をいやす力と権威とをお授けになった。
 また神の国を宣べ伝え、かつ病気をなおすためにつかわして言われた、「旅のために何も携えるな。つえも袋もパンも銭も持たず、また下着も二枚は持つな。また、どこかの家にはいったら、そこに留まっておれ。そしてそこから出かけることにしなさい。だれもあなたがたを迎えるものがいなかったら、その町を出て行くとき、彼らに対する抗議のしるしに、足からちりを払い落しなさい」。
 弟子たちは出て行って、村々を巡り歩き、いたる所で福音を宣べ伝え、また病気をいやした。
ルカ
9章11節
 ところが群衆がそれと知って、ついてきたので、これを迎えて神の国のことを語り聞かせ、また治療を要する人たちをいやされた。
ルカ
9章42節
 ところが、その子がイエスのところに来る時にも、悪霊が彼を引き倒して、引きつけさせた。イエスはこの汚れた霊をしかりつけ、その子供をいやして、父親にお渡しになった。
ルカ
13章10〜13節
 安息日に、ある会堂で教えておられると、そこに十八年間も病気の霊につかれ、かがんだままで、からだを伸ばすことの全くできない女がいた。 イエスはこの女を見て、呼びよせ、「女よ、あなたの病気はなおった」と言って、手をその上に置かれた。すると立ちどころに、そのからだがまっすぐになり、そして神をたたえはじめた。
ルカ
14章1〜5節
 ある安息日のこと、食事をするために、あるパリサイ派のかしらの家にはいって行かれたが、人々はイエスの様子をうかがっていた。
 するとそこに、水腫をわずらっている人が、みまえにいた。イエスは律法学者やパリサイ人たちにむかって言われた、「安息日に人をいやすのは、正しいことかどうか」。 彼らは黙っていた。そこでイエスはその人に手を置いていやしてやり、そしてお帰しになった。
 それから彼らに言われた、「あなたがたのうちで、自分のむすこか牛が井戸に落ち込んだなら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか」。
ルカ
17章11〜19節
 イエスはエルサレムへ行かれるとき、サマリヤとガリラヤとの間を通られた。そして、ある村にはいられると、十人のらい病人に出会われたが、彼らは遠くの方で立ちとどまり、声を張りあげて、「イエスさま、わたしたちをあわれんでください」と言った。
 イエスは彼らをごらんになって、「祭司たちのところに行って、からだを見せなさい」と言われた。そして、行く途中で彼らはきよめられた。
 そのうちのひとりは、自分がいやされたことを知り、大声で神をほめたたえながら帰ってきて、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。これはサマリヤ人であった。
 イエスは彼にむかって言われた、「きよめられたのは、十人ではなかったか。ほかの九人は、どこにいるのか。神をほめたたえるために帰ってきたものは、この他国人のほかにはいないのか」。
 それから、その人に言われた、「立って行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのだ」。
ヨハネ
4章46〜54節
 イエスは、またガリラヤのカナに行かれた。そこは、かつて水をぶどう酒にかえられた所である。ところが、病気をしているむすこを持つある役人がカペナウムにいた。この人が、ユダヤからガリラヤにイエスのきておられることを聞き、みもとにきて、カペナウムに下って、彼の子をなおしていただきたいと、願った。その子が死にかかっていたからである。
 そこで、イエスは彼に言われた、「あなたがたは、しるしと奇跡とを見ない限り、決して信じないだろう」。 この役人はイエスに言った、「主よ、どうぞ、子供が死なないうちにきて下さい」。イエスは彼に言われた、「お帰りなさい。あなたのむすこは助かるのだ」。彼は自分に言われたイエスの言葉を信じて帰って行った。
 その下って行く途中、僕たちが彼に出会い、その子が助かったことを告げた。そこで、彼は僕たちに、そのなおりはじめた時刻を尋ねてみたら、「きのうの午後一時に熱が引きました」と答えた。それは、イエスが「あなたのむすこは助かるのだ」と言われたのと同じ時刻であったことを、この父は知って、彼自身もその家族一同も信じた。
 これは、イエスがユダヤからガリラヤにきてなされた第二のしるしである。
ヨハネ
5章2〜9節
 エルサレムにある羊の門のそばに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があった。そこには五つの廊があった。
 その廊の中には、病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者などが、大ぜいからだを横たえていた。〔彼らは水の動くのを待っていたのである。それは、時々、主の御使がこの池に降りてきて水を動かすことがあるが、水が動いた時まっ先にはいる者は、どんな病気にかかっていても、いやされたからである。〕
 さて、そこに三十八年のあいだ、病気に悩んでいる人があった。イエスはその人が横になっているのを見、また長い間わずらっていたのを知って、その人に「なおりたいのか」と言われた。この病人はイエスに答えた、「主よ、水が動く時に、わたしを池の中に入れてくれる人がいません。わたしがはいりかけると、ほかの人が先に降りて行くのです」。イエスは彼に言われた、「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」。
 すると、この人はすぐにいやされ、床をとりあげて歩いて行った。
使徒
3章1〜10節
 さて、ペテロとヨハネとが、午後三時の祈のときに宮に上ろうとしていると、生れながら足のきかない男が、かかえられてきた。
 この男は、宮もうでに来る人々に施しをこうため、毎日、「美しの門」と呼ばれる宮の門のところに、置かれていた者である。
 彼は、ペテロとヨハネとが、宮にはいって行こうとしているのを見て、施しをこうた。
 ペテロとヨハネとは彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。彼は何かもらえるのだろうと期待して、ふたりに注目していると、ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。こう言って彼の右手を取って起してやると、足と、くるぶしとが、立ちどころに強くなって、踊りあがって立ち、歩き出した。そして、歩き回ったり踊ったりして神をさんびしながら、彼らと共に宮にはいって行った。
 民衆はみな、彼が歩き回り、また神をさんびしているのを見、 これが宮の「美しの門」のそばにすわって、施しをこうていた者であると知り、彼の身に起ったことについて、驚き怪しんだ。
使徒
5章12〜16節
 そのころ、多くのしるしと奇跡とが、次々に使徒たちの手により人々の中で行われた。そして、一同は心を一つにして、ソロモンの廊に集まっていた。ほかの者たちは、だれひとり、その交わりに入ろうとはしなかったが、民衆は彼らを尊敬していた。
 しかし、主を信じて仲間に加わる者が、男女とも、ますます多くなってきた。ついには、病人を大通りに運び出し、寝台や寝床の上に置いて、ペテロが通るとき、彼の影なりと、そのうちのだれかにかかるようにしたほどであった。
 またエルサレム附近の町々からも、大ぜいの人が、病人や汚れた霊に苦しめられている人たちを引き連れて、集まってきたが、その全部の者が、ひとり残らずいやされた。
使徒
8章5〜8節
 ピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べはじめた。
 群衆はピリポの話を聞き、その行っていたしるしを見て、こぞって彼の語ることに耳を傾けた。
 汚れた霊につかれた多くの人々からは、その霊が大声でわめきながら出て行くし、また、多くの中風をわずらっている者や、足のきかない者がいやされたからである。
 それで、この町では人々が、大変なよろこびかたであった。
使徒
9章32〜35節
 ペテロは方々をめぐり歩いたが、ルダに住む聖徒たちのところへも下って行った。
 そして、そこで、八年間も床についているアイネヤという人に会った。この人は中風であった。 ペテロが彼に言った、「アイネヤよ、イエス・キリストがあなたをいやして下さるのだ。起きなさい。そして床を取りあげなさい」。すると、彼はただちに起きあがった。
 ルダとサロンに住む人たちは、みなそれを見て、主に帰依した。
使徒9章36〜42節  ヨッパにタビタ(これを訳すと、ドルカス、すなわち、かもしか)という女弟子がいた。数々のよい働きや施しをしていた婦人であった。
 ところが、そのころ病気になって死んだので、人々はそのからだを洗って、屋上の間に安置した。
 ルダはヨッパに近かったので、弟子たちはペテロがルダにきていると聞き、ふたりの者を彼のもとにやって、「どうぞ、早くこちらにおいで下さい」と頼んだ。
 そこでペテロは立って、ふたりの者に連れられてきた。彼が着くとすぐ、屋上の間に案内された。すると、やもめたちがみんな彼のそばに寄ってきて、ドルカスが生前つくった下着や上着の数々を、泣きながら見せるのであった。
 ペテロはみんなの者を外に出し、ひざまずいて祈った。それから死体の方に向いて、「タビタよ、起きなさい」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起きなおった。
 ペテロは彼女に手をかして立たせた。それから、聖徒たちや、やもめたちを呼び入れて、彼女が生きかえっているのを見せた。このことがヨッパ中に知れわたり、多くの人々が主を信じた。
使徒
10章38節
 神はナザレのイエスに聖霊と力とを注がれました。このイエスは、神が共におられるので、よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました。
使徒
19章11〜12節
 神は、パウロの手によって、異常な力あるわざを次々になされた。
 たとえば、人々が、彼の身につけている手ぬぐいや前掛けを取って病人にあてると、その病気が除かれ、悪霊が出て行くのであった。
使徒
28章7〜10節
 さて、その場所の近くに、島の首長、ポプリオという人の所有地があった。彼は、そこにわたしたちを招待して、三日のあいだ親切にもてなしてくれた。
 たまたま、ポプリオの父が赤痢をわずらい、高熱で床についていた。そこでパウロは、その人のところにはいって行って祈り、手を彼の上においていやしてやった。
 このことがあってから、ほかに病気をしている島の人たちが、ぞくぞくとやってきて、みないやされた。
 彼らはわたしたちを非常に尊敬し、出帆の時には、必要な品々を持ってきてくれた。
ヤコブ
5章14〜16節
 あなたがたの中に、苦しんでいる者があるか。その人は、祈るがよい。喜んでいる者があるか。その人は、さんびするがよい。
 あなたがたの中に、病んでいる者があるか。その人は、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい。
 信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。
 だから、互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために祈りなさい。義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。
ペテロ①
2章22〜25節
 キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。 ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。
 さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。
 あなたがたは、羊のようにさ迷っていたが、今は、たましいの牧者であり監督であるかたのもとに、たち帰ったのである。
ヨハネ③
1章2節
 愛する者よ。あなたのたましいがいつも恵まれていると同じく、あなたがすべてのことに恵まれ、またすこやかであるようにと、わたしは祈っている。
黙示録
21章1〜4節
 わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。
 また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。
 また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。